こないだ思ったこと

先日たまたま社会学の博士をやってる人と会って少しだけ話をした。僕は社会学とかはあんまりわからないので世間話のようなことしかしていないけど。
その中で社会学の授業は結構人気で工学部の学生なんかもよく授業を取っていてTAなんかが大変だとかそういう話が出て、『社会学にこんなに興味を持っている工学部生がいたのか』と半ば感銘を受けてさえいるような口調で言ったので僕は自分が学生の時の状況から思わず「それは生協の冊子なんかから社会学が『楽勝単位』として広く知れ渡っているから授業を取っているだけなのだろう」という、今思うと大層失礼なことを言った(お酒が入っていたとはいえ本当にいろんな人に失礼だ)。けどそんなに間違ったことは言ってないと思う。基本的にそこそこ偏差値のある大学の工学部生と社会学は相性が良くない、と思ってる。
少し、かなり危うい話をすると思うのだけれど、工学部の学生は本人が望む望まないに関わらず、ちゃんと単位を取って卒業して就職すればそれだけで現状の社会を顧みることなく『社会』の一員として(しかも偏差値が高ければ高いほど大手企業に入れる可能性が高くて、おまけに工学部生は男性だらけだ!)きちんと生きていける。社会を俯瞰的に捉えて時には(多くは)批判的な視線を投げかける社会学は工学部生が『普通』に生きるにあたって全く必要のないもので、場合によっては生きる邪魔にさえなるし、なんなら社会の平等を訴える社会学者を『敵』とさえ認識しかねない、と思う。というか、そんな人は何人も見ている。
社会学を専攻する人間が全員『社会が良くなれば良い』と思っているわけでもないと思うし工学部生が全員『社会なんてどうでもいい』と思っている(社会的強者)とは思わないし、どちらが偉いとも思わないけれど、少なくともそういう対立の最中にある人達は実際にいくらでもいるだろうなということを博士の人と話をしてしばらくした後にぼんやり考えて、その一端と、かつその中に生じる誤解を垣間見た気分になりなんとなく憂鬱な気分になった(あんまりちゃんと整理しきれなかった)。
それからどちらかといえばこっちの方がメインに思ったことなのだけれど、そしてこれも別に一概には言えないことなのだけれど、社会のシステムを先に進めるなりのことを考えようとする人間の方が『社会』で生きていく選択肢が狭まっていくだろうのは、当たり前といえば当たり前なのかもしれないし、あるいは逆に適合さえしたくないとさえ思っているのかもしれないけれど、なんとなく嫌な話だなと思った。僕が言うのも烏滸がましいと思うけれど、他人事としてではなく。
早くジャパリパークに生きたい。